「序・3」

 厚い雲に覆われている所為だろうか、外に出てみると、街はとても陰気だった。Yシャツの隙間を縫ってどろどろとしたものが入り込んできそうだ。袖をまくると、少しはすっとしたような気にもなった。
 東子さんに教えてもらった図書館への道は分かりやすかった。吸い込まれていきそうな螺旋階段を降り、司書の人に尋ねると、手慣れているのか答えはすぐに返ってきた。僕は備え付けの脚立によじ登り、天井ぎりぎりの高さまである大きな書架から一冊の本を手に取った。
『夜空の歩き方』と書かれた本である。僕にはまさに打ってつけの本だった。ただ、貸し出しは出来ませんと白髭を生やした司書のお爺さんに教えられた。図書館は薄暗く不気味であり、今にも隅っこから何か恐ろしいものが飛び出して来そうであったので、閲覧することは諦めて、陽の射す表への階段を上った。
 街の本屋で尋ねてみると、禿頭の店主ははい御座いますといって直ぐに取りだしてくれた。代価を聞くとちょうど銀貨一枚だという。銀貨一枚は、本の代金としては非常に高価なものである。大して厚くもなく装丁も平凡なこの本には相応しくないように思えたが、裏返してみると、確かにそこには「代価は銀貨一枚」と印刷してあった。
「これはそんなに価値があるの」
「いいえそんなことは御座いませんよ。一応、月に一冊は捌けますかね。但し値段は高いんです」
 どうやら僕が買わないわけがないと思っているようだ。悔しかったけれど、図星だった。財布から銀貨一枚を手放すと、僕は商店街をぶらぶら歩き、一番端っこのところにある東子さんのラーメン屋へ立ち戻った。
「え、わざわざ買ったの」
「図書館で見たのとは少し違うんですけどね、中身は一緒みたいだったので」
 カウンターには眼鏡を曇らせながらラーメンを啜っている教師然とした男がいた。東子さんと僕の会話にちょっと向けた顔には虚を突かれたような色があったけれども、いや失礼と言うとまた丼に向き直った。ネクタイにスープの染みがついていますよと一言忠告すると、や失礼、ハンカチを取りだして丁寧に拭った。
「何か手伝いをすることがありますか?」
「ないない。やることがないなら、その本でも読んどけば?」
 丸椅子に腰を乗っけると、僕は紙袋を破き、先程買ったばかりの本を取りだした。灰色の表紙に黒文字で「夜空の歩き方」とだけ書かれている。そっと降ろすと、綿埃が小さく宙に舞った。
 開いてみると、最初の数ページには細々とした小さな字が連なっていた。そこは後で読むことにして、先々ページを開いてみた。
 すると、忽然と白紙のページが続き始めた。あれ、幾らめくってみても続きの文字がない、それよりもこれを見ているだけで目が回りそうだ。その時には僕は卓上に突っ伏し、その様子を対面から見つめていた。ちょうど東子さんの立っていたところから、二人のものでもない、無数の視線を浴びて。

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